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今日は代16回湯浅芳子の会だった。この会は今回で終わりらしい。

この湯浅の会が発足する時にわが「オペラ森は生きている」が産まれた。

その時の制作チーフは誰だっけ?
なんと、私、岡原でした。

そう、あの頃は座には制作なんていなかったなあ。今じゃ7人、夢のよう。

私自身の座員試験の前の日のザ議会で
「今度の新作オペラ森は生きているの制作チーフを岡原にしたいんだけど」
と、提案があり、試験前日で興奮していたせいか、即座に
「はい!」
と、承諾してしまった。
家に帰って、その時の夫だった人に
「そんなに簡単に制作を引き受けるな!」と、えらい怒られた覚えがある。

結果・・・。
大絶賛を受けたオペラ森は生きている。

自分自身はその作品の重みと自分の実力のなさにうちのめされた。
なぜ、自分がこんなに評価されないのか・・・などと、くだらないことばかり考えてしまっていた。
評価とは・・・。

そして、16年がたった今日。

制作で湯浅の会の故安藤さんとやりとりしたことや、初演の後の反省会で演出家の前で「歌が少なくていやでした」とか言って萩さんに「だから岡原は芝居が駄目なんだ」とか言われたことや、女官長がすごくいやだったのに九州で長谷川集平さんに「あの、お尻がいいですね」・・・なんて言われてうれしかったことや、何年かたった旅の途中に三月のソロで自分の歌に至福の喜びを感じたことや、おっかさんにキャスティングされて物凄くうれしかったのに組んだ相手にヘトヘトにされたことや、ワークショップでたくさんの子供達に出会えたことや・・・・わああ、たくさんの思い出が・・・。

しかし、なんてことを思い出す暇もない、すごいパーティーだったのです。

まず、会場にはいったらピアノがない!
ぎゃあ!ピアニスト呼んでるのに・・・。責任者忠地と岡原は冷や汗たらたら。
そしたらアップライトピアノが台車に乗ってやってきました。ほっ。
としているのも束の間・・・。
18時30分からのパーティーはその前の授賞式が伸びて19時を回って始まった。
主賓の瀬戸内寂聴先生がものすごく面白い素敵なスピーチを!
多分・・・35分以上。
20時閉会・・・と式次第に書いてあるし・・・。
こんにゃく座の持ち時間は10分と言われていたけど、この感じだと長く歌うと感じ悪い・・・急遽、予定してた歌を換えて、娘が森に行って12つきの精に出会い、12月の歌を歌う場面の歌に。
梅村博美、入魂の娘さん!すごくよかった。
がやがやしているパーテイー会場でのわれらの歌は、まさに
「森で生きている」だった!

と、終わってから合コンのような楽しい呑みでベロベロになって、家に帰って書いている、初演時、制作チーフ、三月、女官長、リス、オオカミの岡原でした。




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