「武蔵野の秋、林光の世界」というコンサートは、志村泉さんのアイデアで1年以上まえから計画されていた。
志村さんといえば、こんにゃく座では伝説のピアニスト!
ってなぐらい凄腕のピアニストで、その人の企画のコンサートに出していただけるなんて、キツネにつままれた・・・みたいな気分だった。
しかも、光さんも出演して、フルートの売れっ子の荒川洋さんも一緒だと・・・。
1年前に突然電話がかかって、オファーされた時は大喜びで、自分がどんなスケジュールになっているかもわからないのに
「その頃はあけられます!」
などと、言いきり、即答でOKした。
しかし、日がたつにつれて、自分のスケジュールがどんどんやばくなっていき・・・。つまり、こんにゃく座員は、キャスティングされた公演の仕事がはいると、絶対にNGはきかないのである。
しかし、コンサートのほうも会場が半年前にしかとれなくて、しかもはじめに目指していた10月がだめだったので、なんとなく立ち消えそうになっていた。
ところが、ピノッキオの東京公演の本番中、志村さんから電話がかかってきて、
「とれたのおおおおおおおおお!!!11月24日!!!!!!あなたの日程のあいてるぎりぎりよねえ!!」
と、叫んでらっしゃる。(志村さんはよく絶叫する。)
ピノキオ冬の旅の稽古の前日である。
「も、も、もちろん!OKです!」
そこから本当のドキドキがはじまった。
「歌いたい歌をメールしてきてください」と言われて、歌いたいというか、歌えるというか、そういうものを並べてみた。その中の2、3曲歌うことになるのかな・・・なんて思っていたら・・・。
私が10曲も歌うことになっている。
しかも、半分は光さんとのデュエット。うぎゃああ!
ドキドキはドキドキドキになった。
しかし、「ねがい」と「うた」はすごく歌いたかった。
そして志村さんの弾きたい「ワルシャワビアンカ変奏曲」とがっちり重なった。
この歌を志村さんのピアノで歌えるなんてドキドキしている場合じゃない!!
ところが、ある日、ピノキオの初日が早まるかも・・・というお達しがきて、24日はNGにしてあげるけど、稽古は20日くらいからはじめるという話になってきた。
しかも、10月22日から11月16日までワークショップ行きっぱなしの旅に出ることのなった。しかも、10月の前半は注文の多い料理店で九州に一週間である。
「あたし・・・本当に・・・できるんやろか・・・」
注文の旅の最中から稽古ははじめて、10月18日にはじめて志村さんと合わせた。
その時の感激たるや!
完璧なる曲作りである。しかも、私に合わせてくれている。
これぞ、ソングの伴奏者だ!びっくりした。
でも、そういえば・・・・。
私は志村さんのこんにゃく体操に助けられたことがあった。
実は座員にとって(私のとってかな?)こんにゃく座の名前の由来であるこんにゃく体操はなかなか重いものだった。責任重大というか・・・。
それが、志村さんの体操のレッスンを受けに行った時にその呪縛から解き放されたのだ。そう、そういう志村さんの伴奏なんだから、歌えて然りだったのだろう。
それからは、とにかく隙間をみつけては歌詞を読み、場所をみつけては歌い。
この場所というのは色々おかしかった。
徳島ではカラオケ屋さん。ドリンクもさすがにソフトドリンクにして、まず、カラオケセットのスイッチを切り、持ち込みの小さなキーボードで音をとり熱唱する。
壁は隣からのギンギンガンガンの音で振動しているが、それに対抗して熱唱する。
島根ではホテルの部屋で、少しは遠慮してソフトボイスで歌っていたのだが、廊下を挟んで向いのピョンコちゃんには丸きこえだったらしい。
「せっかく、きいてるのに下のパート練習してるからどんな曲かわかんないよお」
と怒られた。
小豆島では、音楽室。
どうも、小豆島の方は段取りとかはあまり気にしないみたいで、貸してくれると言ったのに掃除時間になると生徒がどひゃーっとやってくる・・・。
しかし、それにもめげず、歌い続けた。そして、やつらは一切喋らず、もくもくとぞうきんがけを私の足下までしていった。感謝である。
そして、広島ではアコーディオンまで借りられて、養護学校の音楽室で練習した。
この日は障害児祭りで、ついでにピョンコちゃんと二人で飛び入り参加で歌ったら、十二月の歌で30歳の男性が飛び出してきて一緒に熱唱してくれたりのおまけつき。
あとは志村さんの伴奏してくれた自分の歌を聴き続けた。
そして挑んだ11月18日の志村さんとの合わせ。
「うわああ、岡原さんすごく練習してくれたのねえ」
彼女はわかってくれた。
自分でも大変充実した合わせになり、19日の会場でのリハーサルに胸躍らせてむかった・・・。
しかし・・・。
つづく・・・。
志村さんといえば、こんにゃく座では伝説のピアニスト!
ってなぐらい凄腕のピアニストで、その人の企画のコンサートに出していただけるなんて、キツネにつままれた・・・みたいな気分だった。
しかも、光さんも出演して、フルートの売れっ子の荒川洋さんも一緒だと・・・。
1年前に突然電話がかかって、オファーされた時は大喜びで、自分がどんなスケジュールになっているかもわからないのに
「その頃はあけられます!」
などと、言いきり、即答でOKした。
しかし、日がたつにつれて、自分のスケジュールがどんどんやばくなっていき・・・。つまり、こんにゃく座員は、キャスティングされた公演の仕事がはいると、絶対にNGはきかないのである。
しかし、コンサートのほうも会場が半年前にしかとれなくて、しかもはじめに目指していた10月がだめだったので、なんとなく立ち消えそうになっていた。
ところが、ピノッキオの東京公演の本番中、志村さんから電話がかかってきて、
「とれたのおおおおおおおおお!!!11月24日!!!!!!あなたの日程のあいてるぎりぎりよねえ!!」
と、叫んでらっしゃる。(志村さんはよく絶叫する。)
ピノキオ冬の旅の稽古の前日である。
「も、も、もちろん!OKです!」
そこから本当のドキドキがはじまった。
「歌いたい歌をメールしてきてください」と言われて、歌いたいというか、歌えるというか、そういうものを並べてみた。その中の2、3曲歌うことになるのかな・・・なんて思っていたら・・・。
私が10曲も歌うことになっている。
しかも、半分は光さんとのデュエット。うぎゃああ!
ドキドキはドキドキドキになった。
しかし、「ねがい」と「うた」はすごく歌いたかった。
そして志村さんの弾きたい「ワルシャワビアンカ変奏曲」とがっちり重なった。
この歌を志村さんのピアノで歌えるなんてドキドキしている場合じゃない!!
ところが、ある日、ピノキオの初日が早まるかも・・・というお達しがきて、24日はNGにしてあげるけど、稽古は20日くらいからはじめるという話になってきた。
しかも、10月22日から11月16日までワークショップ行きっぱなしの旅に出ることのなった。しかも、10月の前半は注文の多い料理店で九州に一週間である。
「あたし・・・本当に・・・できるんやろか・・・」
注文の旅の最中から稽古ははじめて、10月18日にはじめて志村さんと合わせた。
その時の感激たるや!
完璧なる曲作りである。しかも、私に合わせてくれている。
これぞ、ソングの伴奏者だ!びっくりした。
でも、そういえば・・・・。
私は志村さんのこんにゃく体操に助けられたことがあった。
実は座員にとって(私のとってかな?)こんにゃく座の名前の由来であるこんにゃく体操はなかなか重いものだった。責任重大というか・・・。
それが、志村さんの体操のレッスンを受けに行った時にその呪縛から解き放されたのだ。そう、そういう志村さんの伴奏なんだから、歌えて然りだったのだろう。
それからは、とにかく隙間をみつけては歌詞を読み、場所をみつけては歌い。
この場所というのは色々おかしかった。
徳島ではカラオケ屋さん。ドリンクもさすがにソフトドリンクにして、まず、カラオケセットのスイッチを切り、持ち込みの小さなキーボードで音をとり熱唱する。
壁は隣からのギンギンガンガンの音で振動しているが、それに対抗して熱唱する。
島根ではホテルの部屋で、少しは遠慮してソフトボイスで歌っていたのだが、廊下を挟んで向いのピョンコちゃんには丸きこえだったらしい。
「せっかく、きいてるのに下のパート練習してるからどんな曲かわかんないよお」
と怒られた。
小豆島では、音楽室。
どうも、小豆島の方は段取りとかはあまり気にしないみたいで、貸してくれると言ったのに掃除時間になると生徒がどひゃーっとやってくる・・・。
しかし、それにもめげず、歌い続けた。そして、やつらは一切喋らず、もくもくとぞうきんがけを私の足下までしていった。感謝である。
そして、広島ではアコーディオンまで借りられて、養護学校の音楽室で練習した。
この日は障害児祭りで、ついでにピョンコちゃんと二人で飛び入り参加で歌ったら、十二月の歌で30歳の男性が飛び出してきて一緒に熱唱してくれたりのおまけつき。
あとは志村さんの伴奏してくれた自分の歌を聴き続けた。
そして挑んだ11月18日の志村さんとの合わせ。
「うわああ、岡原さんすごく練習してくれたのねえ」
彼女はわかってくれた。
自分でも大変充実した合わせになり、19日の会場でのリハーサルに胸躍らせてむかった・・・。
しかし・・・。
つづく・・・。
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