コンサート後半の後半は、こんにゃく座コーナー。
たくさんのゲストの後は、いよいよ本家本元こんにゃく座。
まずは、萩京子さんに「唄」という歌を伴奏してもらった。
実はこの曲、1992年に萩さんが私のお祝いに作ってくれた。
その時はメロディー譜だけだったので、今回伴奏譜も書いて完成させてくれた。
お祝いとは…、結婚のお祝いなのだった(笑)
実は離婚後は、さすがに歌う気がしなかったのだが、20年も経つと、全く気にせず歌えるものだ。
伴奏譜ができてさらに素敵な曲になった。歌えて良かった。萩さん、本当にありがとうございました。
そして、大石さんを呼び入れ「幸福」を一緒に歌ってもらった。
幸福は少し音域が高いのだが、大石さんと歌うと凄く歌いやすい。面白いものだ。
大石さんには、普段、会議で喧嘩したり、生意気な態度をとってしまっているが、私の歌の大いなる師匠だ。
いつもすみません。そして、あらためて、ありがとうございます。
そして、こんにゃく座オールスターキャスト!ほぼ全員が歌ってくれた。
なにを歌ってもらうか、大変悩んだのだが、私のこんにゃく座生活で一番長くやっている演目と言えば「森は生きている」である。
1月から4月まで季節を代える歌を今までその月の精をやった人がみんなでソロをやった。
井村君などは1月も2月も4月も全部やっている。
そして全員での合唱はやはり圧巻であった。
特別に、岡原と大石さんの待雪草のデュエットをさせてもらった。一同爆笑!
旅で疲れているのに、みんな本当にありがとうございました!
最後のコーナーは、岡原がずっと歌っていきたい歌!ということで、
「旗はうたう」「兄弟を殺しに」「流れる水と岩の歌!」を続けて歌った。
DVDで見ると、凄い形相になっていた。疲れと気合いで物凄い気迫…。
兄弟を殺しには、今まで詰まったことがなかったのに、途中、真っ白になってしまった。
でも歌いつづけた。
最後の最後は、ネズミの涙から「オンボロバスの歌」
今のこんにゃく座にピッタリのこの歌でコンサートを終えたかった。
オンボロバスでガタガタ道をブッ飛ばしていく!だから、笑って、泣いて、泣いて、わらって!
走れ走れ!鼻水垂らしてションベンもらして走れ!
合言葉は天竺で会おう!
最初から最後までずっとすっと歩き続けながら歌う!後奏もずっとずっと歩き続ける!
途中から座員に座歴の旧い順に加わってもらった。
相ちゃんと梅に挟まれた絵はなんとも言えなく、ああ、本当に一緒にやって来たなあとつくづく、しみじみ…。
私が歌い手としてやってこられたのは、すべてこんにゃく座のお陰だ。
或いは、こんにゃく座に出会わなければ、こんなことしていなかったかもしれない。
外交官婦人として外国に暮らすのが夢だったんだもん!(本当に)
そして、なんとなく生き甲斐がなくて不満な日々を送っていただろう。
今、生き甲斐が有りすぎるくらいだが、こんな幸せな生活はないだろう。
40歳の時はコンサートの最後に号泣だった。
50歳のこの日は泣く事も出来ないくらいの感謝だった。
全ての関わって下さった皆さんに、ありがとうございました。を、何万回も言いたい。
ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。続く…。
たくさんのゲストの後は、いよいよ本家本元こんにゃく座。
まずは、萩京子さんに「唄」という歌を伴奏してもらった。
実はこの曲、1992年に萩さんが私のお祝いに作ってくれた。
その時はメロディー譜だけだったので、今回伴奏譜も書いて完成させてくれた。
お祝いとは…、結婚のお祝いなのだった(笑)
実は離婚後は、さすがに歌う気がしなかったのだが、20年も経つと、全く気にせず歌えるものだ。
伴奏譜ができてさらに素敵な曲になった。歌えて良かった。萩さん、本当にありがとうございました。
そして、大石さんを呼び入れ「幸福」を一緒に歌ってもらった。
幸福は少し音域が高いのだが、大石さんと歌うと凄く歌いやすい。面白いものだ。
大石さんには、普段、会議で喧嘩したり、生意気な態度をとってしまっているが、私の歌の大いなる師匠だ。
いつもすみません。そして、あらためて、ありがとうございます。
そして、こんにゃく座オールスターキャスト!ほぼ全員が歌ってくれた。
なにを歌ってもらうか、大変悩んだのだが、私のこんにゃく座生活で一番長くやっている演目と言えば「森は生きている」である。
1月から4月まで季節を代える歌を今までその月の精をやった人がみんなでソロをやった。
井村君などは1月も2月も4月も全部やっている。
そして全員での合唱はやはり圧巻であった。
特別に、岡原と大石さんの待雪草のデュエットをさせてもらった。一同爆笑!
旅で疲れているのに、みんな本当にありがとうございました!
最後のコーナーは、岡原がずっと歌っていきたい歌!ということで、
「旗はうたう」「兄弟を殺しに」「流れる水と岩の歌!」を続けて歌った。
DVDで見ると、凄い形相になっていた。疲れと気合いで物凄い気迫…。
兄弟を殺しには、今まで詰まったことがなかったのに、途中、真っ白になってしまった。
でも歌いつづけた。
最後の最後は、ネズミの涙から「オンボロバスの歌」
今のこんにゃく座にピッタリのこの歌でコンサートを終えたかった。
オンボロバスでガタガタ道をブッ飛ばしていく!だから、笑って、泣いて、泣いて、わらって!
走れ走れ!鼻水垂らしてションベンもらして走れ!
合言葉は天竺で会おう!
最初から最後までずっとすっと歩き続けながら歌う!後奏もずっとずっと歩き続ける!
途中から座員に座歴の旧い順に加わってもらった。
相ちゃんと梅に挟まれた絵はなんとも言えなく、ああ、本当に一緒にやって来たなあとつくづく、しみじみ…。
私が歌い手としてやってこられたのは、すべてこんにゃく座のお陰だ。
或いは、こんにゃく座に出会わなければ、こんなことしていなかったかもしれない。
外交官婦人として外国に暮らすのが夢だったんだもん!(本当に)
そして、なんとなく生き甲斐がなくて不満な日々を送っていただろう。
今、生き甲斐が有りすぎるくらいだが、こんな幸せな生活はないだろう。
40歳の時はコンサートの最後に号泣だった。
50歳のこの日は泣く事も出来ないくらいの感謝だった。
全ての関わって下さった皆さんに、ありがとうございました。を、何万回も言いたい。
ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。続く…。
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